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火曜本部 蒸し暑さ 暑気払い

火曜は本部稽古。雨が降っていたせいか蒸し暑く。稽古の始まる前から汗が出る。

基本のあと型をひととおり。その後、ミットをみっちりと。

金的、前蹴り、順突きから、前に飛び出る追い突きまでノンストップ。一心不乱に行ない、かなりハードで、ふらつくほど。気にしている前蹴りも一心不乱に行いました。万能ミットを蹴りとみたてて前に出る稽古。その後、チームにわかれ、私は立ち方、礼、防御基礎型、約束組手をおさらいしました。約束組手は久しぶりだと忘れてます。。。。

たっぷり汗をかいた稽古後に、やまちちさんと暑気払いで串鳥へ。汗をかいたあとのお酒は非常においしく。。。。たっぷりのみ。またまた空手談義に盛り上がり、気がついたら串鳥、閉店まで。臨時OK会暑気払いでした。

週末はサンピアザ夏祭り。息子が出ます。体裁き2段ですが練習もっとやってもらわないと。

余談。。。臨時KO回暑気払いでの話題。まとめてみた
本州に唐手が空手として渡ったあたりの動き

船越義珍(1868-1957)
53歳
 大正10年(1921年)沖縄で御前演武:沖縄に皇太子殿下がこられたときに空手を披露
54歳
 大正11年(1922年)東京で運動体育展覧会:沖縄県の代表として空手を披露
 その後ひきつづき
 7~9月 講道館において空手の指導
 11月空手史上初「琉球拳法 唐手」出版

船越義珍が本州に旅立った大正10年は、安里安恒、糸洲安恒ともに亡き後であった。
1957年88歳の大往生でこの世を去るまで、故郷の沖縄へ帰ることはなく、本州の空手の普及に務めた。

「義珍の拳」今野敏に書かれていたのをまとめてみました。ただ小説では、11歳の頃より安里安恒に師事されていたということになっていますが、安里安恒の動きの記録からすると、24歳頃からと、もっと短い間だったという話もあり。安里は「明治十二年廃藩置県後は琉球末期の国王尚泰侯の国務大臣として、麹町の尚家に十三カ年も献身奉公された」(「恩師安里安恒先生の逸話」)となると船越義珍の11歳~24歳の間になっちゃいますね。。。

次に師事されていたという糸洲安恒においても、直接指示されたのではなく、船越義珍の息子義豪を通じて摩文仁賢和から糸洲の型を習得したという話もあります。

船越義珍 wiki
安里安恒 wiki
隠されていた空手、武道技術上達論

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